……ついでに作者も変わる……。





どうも。
学校始まったけど生活リズムが治らない6号です。
この時期にこんなこと言ってるとどう考えても死亡フラグなんですが、まあ後期も細々とやっていこうと思います。
徹夜でレポート仕上げたらその授業がいきなり休講になったおかげで思いっきり躓きましたけどね。

水曜は一つしか授業ないんです。



さて、話が78度くらい変わりますが。
土塚せんせーはついに自分一人で風呂敷をたたむことを諦めたようです。

第4章は作画別の人だってさ……。


そもそも今までそんな話が出てこなかったのが謎なんですけどね。
バンブーブレードの時に原作が上手いのは分かってたはずですし。
最近絵が上達してきたって云ってもやっぱり表現上上手くいかないところもある訳で。
まあこんなこと言ってますが僕は土塚理弘のMPが読みたい派です一応。




えー、そろそろアラーラも発売してしまうので……他の人のほぼ一周遅れですがTSPを振り返ってみようと思います。
とは言ってもカードそのものを振り返ると印象が薄いので、主に使っていたデッキを思い出しながら書いていきます。

つまりは備忘録。



TSP導入後;青赤トロン

一からデッキを組む気が起きなかったらしく、しばらくは当たり障り無いデッキを使い続けてました。あんまりトロンで大会に出た記憶がないので多分トリコと併用してたんでしょうけれど。
ちなみにTSPが入って増えたカードは主にフィニッシャーでした。
《神秘の指導》から《呪文の噴出》のバイバックで嵌めたりね。


PLC導入後;トリコロール

TSPが入ってから本格的に頭角を現したデッキ。あの頃の《稲妻の天使》は無双だった。おそらく一番長く使ってたんじゃないかと思う。PLCの頃に組んで落ちるまでずっと使ってた記憶が。《爆裂/破綻》が大好きでした。
あと《永劫の年代史家》のパワーに気づいたのもこのデッキのおかげ。
ごめんちー兄さん。

そう言えば環境最後の大会はこれを使って出た日選オープンとサイドのトーナメントだったなぁ。
最終戦で調整相手のじろうさんに当たって爆笑したっけか。


日本選手権予選;赤白黒アリーナコン

僕のマジック歴の中で忘れられないデッキ。カード足りなくてずっと一人回しだったけれど、最後くらい使ってやろうと思いまして。で頑張って調整して一回だけ大会に出てみたら何故か日本選手権インド予選に行ってた。
カオス過ぎた。

そんなこともあって僕は《始祖ドラゴンの末裔》が大嫌いです。

でもデッキは好きだった。


ローウィン導入後;青緑コン

流石にトリコも組めなくなって、暫くは札束を尻目に使うデッキがなくて切ない思いをしてた記憶が。大会でこのデッキを見つけたときはイシイシ氏と一緒に狂喜乱舞したっけか。セルは使ったことなかったので《セロン教の隠遁者》は殆ど持ってなかったし。ピクルスコンボは大好きでしたけどね。
そう言えば最初のころは皆《誘惑蒔き》使ってなくて弱いのかと勘違いしたこともあったっけか。
でもモーニングタイドが入ると流石に環境的にデッキがきつくなってきたのでまた新デッキ。


シャドウムーア導入後;緑コン

工場長が作った《夜の群れの雄叫び》デッキに感銘を受けて作ったデッキ。弾幕はパ(略)と云わんばかりのバラ撒きっぷりに定評が。
その後ハンマータイプに切り替えて狼は抜けるものの原型はほぼそのままでずっと使ってた。ブン回ってる時のゴリ押し叩きつけプレイングと、遅れを取った時の何もできなさが正にツンデレ。
結局落ちるまでこれ使ってましたね。

この間ふるや杯に行った時に『川越近辺は緑単が多い』って言われたんですがもしかしたらお店勢のせいかもしれませんね。



……しかしこうして振り返ってみるとあんまり同系やった記憶がないな……。
みんなが使わないだけで本人としては地雷を使ってるイメージはないんですが。
流石に緑単は怪しいか?



こんなものですかね。
もう発売日も近いですし、今回はリミテッドも頑張りたいですね。

では。
さようなら、タイムスパイラル。
ありがとう。

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